2013年9月11日水曜日

Project す舞 巨匠投稿 "2020東京オリンピック表裏 ~反対しきれないワケ?~"


「オリンピックが東京に決まってしまう。」

・・・いつも突然やってくる<感覚>が口をついて出たのは
次の開催地が「Tokyo」に決まる数日前。


東京が金融の道具としての街から、人々の暮らす町へと
やっと戻っていくと思えた矢先、
オリンピック・パラリンピックの招致報道がTV画面を賑わし始め、
瞬く間に「Tokyo」に決定した。

私自身は東京オリンピックに憂いを感じている。
もっと言えば、東京オリンピック反対だ。

あの一極集中バブルが再び始まる懸念を消すことができないのだ。
招致決定の前から既にその兆候は現れ出していたが、
また金融主導の建設ラッシュを東京にもたらすつもりなのだろうか。

戦争が終わりわずか68年で、東京はコンクリートと鉄に覆われた
無機質な大都市に豹変した。

焼け野原が大都市に変わるのに費やした年数はたった68年。

そこに住まう人々の衣食住の「住」を支える土地であったはずの、
戦前の東京に思いを馳せてしまう。


東京オリンピック決定と時同じくして、
朝ドラの「あまちゃん」ではアキが北三陸に帰った。
宮藤官九郎独自の描き方で、2011年3月11日の東日本大震災の様子が表現されている。

復興はまだ全然終わっていないことに引き戻される。

都市直下型地震の予測が紙面を賑わし、富士山の噴火が秒読みのように言われている。
そんな超危険な因子を抱えながら、人々は与えられた日々を生きなければならないのだ。
ならば、2020東京オリンピックまでの7年間、
被災地の復興が目に見えるかたちで進むことを祈ろう。

一極集中で日本の経済を牽引してきた東京が世界に向けて約束したのだ。
オリンピックを切っ掛けに、オリンピックを道具にして、外貨を吸い上げ、
東北に回せばいいではないか。
本当にコントロールが必要なのはそこでしかないはず、
ですよね、総理。


2020東京オリンピック会場のほとんどは、ウォーターフロントと呼ばれる
東京湾内の突端の埋め立て地の上に計画されている。
津波が来ればひとたまりもないことは明確な場所だ。
これからの7年間、そこにたくさんの人々が様々な理由で集まるのだろう。

東北を襲った衝撃的すぎる津波の映像が蘇る。

7年後、2020東京オリンピックが無事開催されることを心から願う。

がんばれ! ニッポン!

2013年6月8日土曜日

BIGIグループ御殿場物流センター 1990


御殿場にあるBIGIの物流センターを訪問してきました。


キョショウが大手建築設計会社にいた時の最初のお仕事だそうですから・・・
かれこれ30年近く前の建物です。

DCブランド花盛りであった当時は、様々な会社のトラックがひしめき合い、
出荷前にアイロンをかける女性達で大賑わいだったそうです。
1階エントランスではアウトレットまでやっていたとか。

そんな昔話が出るような古い建物なのに、とてもきれいでした。



トレンディドラマなるものが流行った辺りから、コンクリート打ちっ放しが流行ったと記憶してますが、その頃の建物が染みや汚れで荒んだ様子になっている姿を、都内でよく見かけます。

しかし、さすがでした。
これぞ修繕!
BIGIの社長さんが建物をお好きだという話もうなずけます。


キョショウがはじめて任されたという階段は、ディテールの「細さ」にこだわってデザインされたものだそうです。
当然、これもきれいに塗り直されていました。



物流や人こそ少なくなっていましたが、荒れてはいませんでした。
大切にされている建物、という印象がひろがります。


「ちゃんと直せば本当にきれいになるよ、元々がいい出来だからね。」
その建物は、キョショウを励ましているようでした。




2013年6月5日水曜日

パワースポット 九頭龍神社[ 管理人の随想 ]



富士山と向かい合うように坐す箱根神社のふもと、芦ノ湖の水辺にひっそりと佇む可愛らしいお社があります。


九頭龍さんという龍神様のお社、九頭龍神社です。

少し行きづらい奥まった場所にあるのですが、最近は口コミでご利益が評判になったためか、多くの方達が訪れるようになったようです。
女性が多いところをみると、ご縁結びのお願いが多いのかな。
やはり皆さん、パワースポットとなると積極的ですね。
かくいう私も、九頭龍様の大ファンです。


そういえば思い出したことがあります。

「その部屋に住んだ人は出世する」

これ、母の実家の小さなお部屋が周囲の方々からいただいていた、ありがたい噂です。
そのおかげで、この部屋を借りたいという人が絶えなかったと聞いていました。

動物でも植物でも、やさしく声をかけたり、暖かく接すれば、必ずよい反応を示すといいます。実のところ、植物とはなかなか仲良しになれないのですが(なぜか向こうが嫌がる)、動物さん達とはけっこういい関係を結んでいます。

住まいにも、人が手をかけ、愛情をかけてあげれば、ポジティブな気がそこに満ち、いいエネルギーが貯まる場になっていくのではないでしょうか。
そのような建物は、たとえ年月を経て金銭的な価値は下がったとしても、人知を越えた価値を生む・・・そんな気がするのです。


だから、私は願っているんです。

キョショウが自分の心にかけた枷をはずし、いつか再び建物を作る時が来ることを。

今のキョショウなら「ここに住む人は幸せになってほしい。」という切なる想いを、今まで以上に込めることが出来ると思うのです。
そこに住まう方々と直に接して、うるさいジーサンと思われながらもいい相談役になったり、そんな関係を築くことも出来るのではないでしょうか。


例えばそこに入居する人達はなぜか運がいい、
みたいな・・・
そんな素晴らしい住まいになる可能性がとても大きく感じるのです。





大きな地図で見る


2013年5月12日日曜日

Project す舞 巨匠インタビュー その 2

Project す舞 巨匠インタビュー その 1 からの続きです。


 2回目の大規模修繕にフォーカスをあてる

 2回目(約20年目)の大規模修繕の方が、1回目より更に大変だそうですね。

「色々な設備の耐用年数がオーバーしてきているから。一回やったからもう分かった、というのは通用しないんですよ。」
「そのためにも、一回目の時に参加して下さった方に、きちんと説明しておきたいんです。今のお住まいが、次の世代に堂々と繋ぎ渡せるようなお住まいになるために。」

2億円ぐらい積み上がっている、世帯数100戸程度の世田谷の億ションの住民が、免震工事をやったせいで、買った時と違う風情になってしまってがっかりしている。誰かに相談したい!と言っていたという話がありましたよね。

「そう、ご存じの通り、建築業者さんがやる訳ですからね。」

うんうん、わかります。
デザイン性までは期待できませんよね。

「建築業者さんや管理会社と喧嘩するために、間に入る訳じゃないんですよ。
たとえ、僕に見積金額を抑えられたとしても、結果いい修繕になれば、住民の人達がその後何かと相談できる関係になるかもしれないでしょ?
20年目の修繕の時、またその業者さんに頼みたくなるような仲になった方が、
お互いにいいと思うのですよ。」

このプロジェクトのキョショウの役割は、
   業者さんとの橋渡し人
   業界用語の通訳
であり、
   建物に愛情を持ってお住まい頂けるように導く仕掛け人
なのだ。

建築業界という特殊な世界に四半世紀も身を置き、マンションやホテルの全工程を手掛けた経験があるからこそ、見積項目のすべてやその裏にある事情を察知できる。
それを、お住まいの主役である住民の皆さんにご説明し、真摯に相談に乗らせていただく。

仕上げに、キョショウの人々への想いや愛情というスパイスが一滴入る。

それが、アスタリスコ・デザイン・アソシエイツの ” プロジェクトす舞 ” の差別化の一厘である。


2013年5月11日土曜日

Project す舞 巨匠インタビュー その 1

” プロジェクト す舞 ” 仕事のきっかけ

 「今のアスタリスコにできることを、ずっと探していたんです。」

「そんな時たまたまネェサンに電話したら、
『マンション理事になっちゃって、もう大変だったのよぉ、大規模修繕。
アナタに相談すればよかった!』
というのが久々の第一声。ネェサンはね、困った時にいつも助けてくれる人。
今回もまた大きなヒントをもらいましたよ。」

マンション建築界では引っ張りだこだったキョショウこと小野敬一が、3年以上それを拒み続け、あえて選んだワイルドロードの中で打ち出した ” プロジェクト す舞 ” という仕事のきっかけについて、問うてみた返事である。

マンションの修繕って、そんなに大変なものなんですか?

「入居の時は、出来ている部屋に入るだけだけど、修繕となると、その時の理事会の人達が建築業者さん達と直でやりとりすることになるでしょ?
膨大な量の見積り項目を理解して、仕分けして、住民の方々のコンセンサスをとって・・・
ってやるんですよ。素人だったら悲鳴の十や二十はあがりますって。」

確かに、私の実家がビルを建てた時、家族の意見が合わず喧嘩ばかりしていた記憶が鮮明にある。挙げ句の果てに母親は鬱病っぽくなり、二度とあのような修羅場は経験したくないと思うキツイ一年だった。
選んだ色と違う外壁タイル(納期に間に合わなかったそうだが、事前に聞いていない)、かみ合わない観音開きの扉、母も私も背が届かないシステムキッチンの上扉等々、出来上がった時には全部チェックしきれなかったモノ達と、その後二十年近く、諦めとため息と共に暮らしている。


興味のきっかけはコストでもいいんです

 話を戻そう。

しかもその前に相見積もりを取ったりもしますよね?
「そう、住民の皆さんの何千万円、ともすれば億という修繕積立金を使う、という責任もあるから、選定の段階からストレスで大変なことになります。会社のお金ではないですからね。」

友人のマンションは、管理会社の選定で業者が決まったと言ってましたけど。

「多分、始まる前から『積立金が足りない』って言われてると思いますよ、そういうところは。
管理会社はその物件に修繕積立金がいくら貯まってるかを知ってますしね。」

そういえば、つい最近会った別の友人のところは、追加で一件当たり百万円以上請求され、慌てて見積を見直し、管理会社も選定し直したそうだ。

「管理会社と友好的にやっていくことはいいことですけど、あくまで住まいの主人はそこに住んでいる自分達ですからね。最終的に自分たちが守る意識だけは持っていないと、いい修繕にはならないと思います。」

インターネットやテレビを見ると大規模修繕コンサルティングを打ち出している会社さんもけっこうあるようだ。

「うん、でも、どこもコストのことばっかりなんだよね。」

それは仕方がないような気がしますが。

「もちろん、最初の動機はそれでいいのだけど・・・・。
僕はね、住んでいる人達に、自分のスマイに興味をもって、愛情をかけてほしいんです。
自分で戸建の家を作ったら、ペンキが剥げてきたら自分で塗るし、屋根も自分で上って直す。でしょ?あれが、自分の住まいに対する想いの基本行動だと思うんですよ。
 だから、マンションの修繕の時も、理事会、委員会メンバー任せ、人任せにしないで、自分で考えられるようになってもらいたいんです。
 そのために、僕は見積項目に乗っている修繕がどういうことなのかを説明して、その修繕が一年以内に必要なことなのか、3年後に別個にやってもいいんじゃないか、ということを説明していく。」

キョショウは熱く続ける。

「できれば、理事会の方々だけじゃなくて、住んでいる人達みんなが、どういう修繕をするのか、それは具体的にどういう外観になるのか、というようなことに意識をもって、この大規模修繕という大プロジェクトに参加するようになるのが理想です。」


Project す舞 巨匠インタビュー その 2 に続きます。



2013年5月10日金曜日

Project す舞 巨匠投稿 "最後の同潤会アパート、解体前に公開"


キョショウからの投稿がありました。

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" 最後の同潤会アパート、解体前に公開 上野下アパート "に寄せて
↑↑↑ 画像と記事,ご参照ください. ↑↑↑
Copyright尊重のため画像は転載しておりません.


5月8日,地上波のニュースを眺めるともなく流していたら
最後の同潤会アパートが解体される と
「そんな話がニュースになるんだ」、が第一印象

夜半の他のニュース番組でも同じニュースが流れる
「時代が変わっていく感じがする」

関東大震災の復興事業として建設されたこの同潤会アパートは
集合住宅の近代化の先駆けだった

台東区は上野下という場所で、84年間人々の生活を支え続けたという

東京の肥大化によって地価は上昇し、外から見れば、
そこだけ取り残されたような一角だったであろうその建物は、
人の継承を3世代、4世代も支えたのだ

東京では、再開発という名のもとでオフィスビルの建て替えが進んでいる
「とうとう住宅建築の建て替えが始まるか」
何日か前に口にしたこの言葉に現実味が出てくる

<100年住宅>という言葉を謳い文句にして、
昨今、住宅産業を展開する方々は、
人々が取得する建物の寿命を考えたことがあるのだろうか?

「建物は100年ももたないのだよ」
その建物が映像を通して語りかけているようだ

日本の人口推移は確定的だ
東京が肥大化を続けるには、国外からの人口流入しか考えられない

<資産>という言葉を信じ、住宅を取得する方々に
建物が訴えかけているようだ
「それが過去の話になる可能性が高いのだよ」
「ほら、すでに自動車は資産ではなくなっただろう」とも

であれば、
住宅にまつわる<資産>の概念を転換してしまえばよいのだ、
お金に替えるものではなく、守っていくものとして
そうすれば、
人任せではなく、本当の資産として自分たちに取り戻すことは出来るはず

集合住宅の共用部は、公の道路や公園ではないのだ

自分たちで考え、自分たちで行動してほしいと、心から願う

そのお手伝いをするのが、私たち建築に携わる人間の使命なのだから



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都内にあった何件かの同潤会アパートは、ボロボロに老朽化しながらも、
建物に誇りのようなものがありました。
今回の台東区のそれも、写真で見る限りだが、居住まいの正しさを感じます。
それは、古き良き時代の人達の持っていた気概を、建物が受けているからでしょうか。
きっと建てた人達や住人達に可愛がられていたんだろうなあ、と思います。

建物も必ず年をとるのです。
花も動物も愛情をかけると応えてくれます。
それは建物も同じ、とキョショウは言います。
だから、建物が長生きできるように、住んでいる人達が主体となって、修繕をして頂きたいなあと、思うのです。

「半端な額ではない修繕積立金を、お住まいのご主人の納得がいくように使って下さい。」
「建物を可愛がってあげて下さい。」
今後とも、小さいながらも灯を灯し続け、発信し続けていくつもりです。

アナタのお住まいが、可愛くて丈夫なお年寄りになれますように!



2013年4月7日日曜日

「Project す舞」 パンフレット公開



パンフレットができました !!

Project す舞

プロジェクトスマイ

と読みます。


前回の記事
「プロジェクト スマイ」始動
の桜の写真は、by巨匠。
パンフレットのデザインも当然、巨匠の手によるものです。
http://www.kyoshoufan.com/2013/04/blog-post.html

「どうしよう、理事になっちゃった」
というまさにその悲鳴が、この企画誕生のきっかけだそう。


大規模修繕が目前のマンションにお住まいの方にとって
きっと喜んでいただけるに違いない、
この企画を聞いているうちにそう確信しました。



自分がお金を儲けることなんかどうでもいい、
という言葉通りの生活を実践していた仙人のような彼が、

”住んでいる人達が笑顔でが安心して暮らせるような手伝いがしたいんだ”

と言いました。


巨匠が山に戻らないように、現場で仕事してもらいましょう!




印刷用のPDF fileはこのLINKからダウンロードできます。

Project す舞 Leaflet
http://sites.google.com/site/kyoshoufanftp/home/project-sumai/leaflet102.pdf

最新のacrobat Readerでご覧ください。



2013年4月1日月曜日

「プロジェクト スマイ」始動



「やっぱり、アナタに相談すればよかったんだわ!!
出された見積もりを見ても、そもそも言葉もよくわからない。
意味が分かっても、ホントにやらなくちゃならないのかって・・・。
もう何が何だか分からなかったわよぉ。」


と、巨匠がネエサンと呼ぶ、代々木の高級マンションにお住まいの素敵なマダム。
修繕時期に理事会のメンバーに当たってしまったんですね。

修繕の時の理事会の皆さまのお役ほど、心労が重なるものはないようです。
理事会メンバーは、社会の第一線でご活躍されていたり、人から頼りにされるタイプの方が多いはず。でも、いくら頭が良くて弁が立っても、あるいは建築業界に少しいたとしても、建築の全ての側面を知っていなければ、修繕見積を読み切るのは困難だそうです。

巨匠によれば、近々大規模修繕の時期を迎えるマンションが沢山あるそうです。



ファンサイト管理人は、猛反省中です。

もっと早くから巨匠のお尻をたたくべきだったと。
この『小野巨匠のファンサイト』を開いたのは、小野敬一を必要とする方々のお目にとまり、興味をもって利用していただき、最後に大いに喜んでいただきたい、そのためでした。

マンション理事会の会長をされている方、理事会のメンバーの皆さま、そう、皆さまにこそ、ご紹介したいからでした。



ファンサイト管理人は、猛反省中です。

もっともっと自分の時間をこの企画に使うべきだったと。



皆様の笑顔のために、今こそ、行動として始める時がやってきた思いです。




2013年3月29日金曜日

Spaチャン ありがとぅ


” Spaチャ~ン!!!
長い間楽しかったよぉ~
ありがとう。 ”



巨匠と10年間連れ添った相棒スパちゃんのお別れの日。


愛しのアルファロメオは、
長年サポートしてくれていたDistinoさんでピカピカに磨き上げてもらい、
優雅にたたずんでいた。



お別れの挨拶のために、おめかししているようでもあった。


その流麗な曲線を飽きることなく眺めたあと、
少し涙目のキョショウは最後にそう叫んだ。


お別れは次への序章


決意の表情は美しい


その日のキョショウもスパチャンも美しかった。



Special thanx.


Scuderia DISTINO
http://www.destino.jp/scuderia/scuderia_top.html



2013年3月16日土曜日

パークスクエア長津田 2000



一体全体、ここはディズニーランドのシンデレラ城か!?

というのが、初めて見た時の印象です。


例えば、同じ5000万円のマンションを、モデルルームだけ見て買った二組の友人一家がいて、それがたまたま同じ長津田という町を選んだとしましょう。

晴れて入居となり、一組は小高い丘に優雅にそびえる瀟洒な建物を目の当たりにして歓声をあげ、友人夫婦を招きます。

既に、焦げ茶のタイルを張り巡らせた普通の四角いマンションに入居していたもう一組の一家は、友人のこのお城を見て、どう思うことでしょう。
なまじシンデレラ城があったばかりに、この二組の友好関係はどうなることか・・・。


おせっかいな管理人はそんなことまで思ってしまいました。

マンションのお部屋の価値は、モデルルームの印象で買った部屋だけのものではないはず。
マンションを買う時は、外観からすべて見てから決めないと、とんでもない悲喜劇があるのだ、ということを、管理人はパンチを食らったように理解しました。


長津田を見て、「小野がやるなら次のマンションは即刻買い」みたいな現象も起こったとか。
そうでしょうとも! 
このビンボーな管理人でも、思わず買いたい!と思ってしまったでしょう。

凝りまくってキラキラ華やかなのに、このお城のような重量感はなぜなんでしょうか。
「長津田をやった」というのが、当時の職人さん達の名刺代わりにもなったというのも頷けます。


ともかく、これほどの付加価値の高い、凄すぎるマンションは、未だかつて見たこともありません。
壁面ごとに様々な模様になっているモザイクのように美しいタイル。
一歩進むたびに、色々な角度で、美しい窓や照明や木々が見えてきて、歩くだけで楽しいです。


巨匠の選んだ丘を登るエスカレーターを彩るタイルも素敵。
そこから続くボードウォークも。


管理棟という地味な名前にしておきたくないような建物を、お月様が出て来たときに見上げたら、まるで童話のお話の中に身を置いているような印象でした。



この照明や階段の手すりはどうですか!

これらも巨匠のデザインだそうです。

お茶室やパーティルームまでありますよ。



例えば、勤めを終え、我が家のある長津田の駅のホームに降り立って、このお城の姿を見上げるだけで、家族関係もうまくいきそうな心持ちになります。


その証拠に、ここは今でも、人々がにこやかに挨拶を交わし、元気な子供達が沢山駆け回ります。


巨匠が「とても幸せだった頃にやった、一番楽しかった仕事」だそうで、そんな気持ちが、この建物のそこかしこに溢れているようです。

本気で王様とお姫様を住まわせたかったのかもしれませんね。



管理人が思ったこと、
「マンション買うなら、竣工後でも遅くない!」
これに尽きます。



画像はasterisco databaseから竣工時のdataを拝借したものと、大規模修繕直前のものです。


2013年3月10日日曜日

DESIGN WORKS CRABMAN

巨匠からのご紹介 Link

巨匠のご友人小野伸明さんが主宰する







有名漫画家のアシスタントを経て
力強い作画感が特徴のグラフィックアーティスト

と、巨匠談。


巨匠と同じファミリーネームの小野さんは
滋賀県長浜市でご活躍中です。

2013年3月9日土曜日

ルネイズム浜田山プロフォルト 2001



取材に訪れた日の午後、円柱のエントランスを抜けて出てきたのは、これからお友達とのお約束か、落ち着いた感じの女性でした。

お仕事もきちんとされながら、「住まう」ことにもしっかり向き合っている感じ。


その印象は、この素敵なルネイズム浜田山という建物が息づいている風情に、オーバーラップします。

エントランスに続く円柱形のメインの建物を挟むようにして2棟の建物があり、全部で3つの建物が同じ敷地内にあります。
いったいどういう目的の建物なんだろう?
と、もし私が竣工当時に見たら、首を傾げたに違いありません。


巨匠によれば、デザイナーズマンションという言葉が認知され初め、ディベロッパーさんから引っ張りだことなりかけた頃、ほとんど徹夜続きでへろへろになりながらも一生懸命作ったものだそうです。



ここは外装からインテリアまで、全ての部位に小野巨匠の手が入っている。

巨匠の凝ったデザインは、人目を惹くため外観と共有部分だけ使うことが多くなっていたその頃にあって、彼が全部設計したとは・・・インテリアまで見てみたいものです。
中には、地下室まで続く3層のメゾネットのお部屋もあるそうです。


エントランス側面には、雨が降るとシャワーになるような仕掛け。
雨降りの時も楽しめるように、という工夫でしょうか。



その頃の凝った建築物にありがちな浮ついたような雰囲気が、なぜかここからは漂ってこない。

出てきた女性を見て、その答えを頂いたような気がしました。


ここに住まう方々の心意気や知性が、建物を育てたのでしょう。



2013年2月10日日曜日

MARISCALのKITTYちゃん


今日送られてきた画像は何とキティちゃん!

どうやら最近のお気に入りらしい・・・


しかしなぜ巨匠がキティ?


はは~ん、普通ではない変顔のキティです。
包帯巻いてたり顔が地球儀だったり、キュビズム風だったり・・・・
そして、一個一個クリックしているうちに、ちょっと懐かしいような気持ちになりました。



これが巨匠のお気に入り

なぜかなあ・・・。

それはMARISCALって書いてある最後のキティで解決。

そう、1992年、バルセロナオリンピックのマスコット、COBIクンを産んだハビエル・マリスカルさん(JAVIER MARISCAL)のデザインしたキティでした。
http://www.mariscal.com/

彼のイラストのグラスを、それと知らずに気に入って、ずっと使っていたんです、その昔。




これが私のお気に入り


色や形は違えども、人の印象に残り、何年たっても色褪せることなく記憶を呼び戻す何かがある・・・それがアーチストたるものかもしれません。


キョショウの建物が、どこにあってもそれと分かるのも、巨匠たる所以なのでしょう。




2013年2月9日土曜日

Spaチャンのオーディオ基板


長年の相棒、愛しの「Spaチャン」こと、アルファロメオ、スパイダーの中で、10年以上音を奏でてくれたオーディオデッキの基板だそうです。



小部屋がたくさんあって大きな庭園があるお屋敷みたい。
回路というか迷路のよう。

そして、緑の庭園(?)に押してある合格の印が、アナログなムードを醸し出してて、いいですねえ。
素人目にも、丁寧に手作りされた基板って感じがします。



デッキを分解して取り出した基板を眺め、面白いと思ってカメラを取り出したりする・・・巨匠はそんな休日を過ごしているようですよ。



2013年2月8日金曜日

巨匠のお仕事はただいま取材中


巨匠の手掛けてきた、東京を中心とした沢山の建築物は、ただいま鋭意取材中です。

昼夜それぞれ景色が違っていたりするため、暗いカメラだとうまく撮れなかったりで、なかなかアップできずにいます。
今しばらくお待ちください!!


小野巨匠の asterisco design associates のホームページでは三輪晃久写真研究所による素敵な画像をご覧いただけます。
右下のアスタリスコマークからLINK !!

三輪晃久写真研究所の WEB Page も巨匠のデザインだそうですよ。
http://www.miwa-ap.jp/



主だった巨匠の作品群はこちら

2009 アルティス湯島
2007 ポニーキャニオン役員会議室
2006 エルフィーノ横濱根岸ディライトコート
2006 クレアトール西日暮里
2006 アデニウム熱海オーシャンスイート
2005 木場サニータウン<再生住宅>
2004 ザ・クレストシティ
2003 クレアトール亀戸
2003 東京リバーコースト
2002 東京ナイル
2001 ルネイズム浜田山
2000 パークスクエア長津田
1998 鷺沼シティーハウス
1994 パンパシフィックホテル横浜
1992 BBスタジオ+パパスカフェ1号店
1992 ピンクハウス本社ビル
1991 パシフィコ横浜ホテル棟
<ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル>
1990 bigiグループ御殿場物流センター



2013年1月12日土曜日

25年元旦の富士山


巨匠からこんな素敵な画像が届きました。




25年元日の朝、三島側から撮影した、三国一のお山、富士山の優雅なお姿です。




  何となく、
  今年はよい事あるごとし。

  元日の朝晴れて風無し。


石川啄木。24歳。
生まれたばかりの長男を亡くし、両親も妻も健康を損なっており、啄木自身も体調不良のため仕事を辞めた。
「而して残額僅かに一円二十一銭に過ぎず。」
こうして迎えた1911年(明治44年)1月。
そんな絶望的な状況にあって、詠んだのがこの句でした。



今年は、日本も世界も決して明るい見通しではないけれど、
絶望に心を苛まれることなく、心を清々しく、未来を見据えていきましょう!!

そんな富士山の姿に思えます。



2013年1月10日木曜日

巨匠からの年賀状

巨匠から年賀状が届きました。 



こういうのをエッジが効いてるって言うんでしょうか、迫力のある格好いいデザインです。 しかし、人を喰ったヘビとは・・・まるで誰かみたい。